そこで小池徹平との出会いから、もっと音楽を求める衝動がウエンツ瑛士に生まれてきたのかもしれません。
しかし小池徹平という最高の相棒を持ったことによって、さらに上を目指すことができたともいえるのがウエンツ瑛士です。
決して自分の置かれている地位に甘えず、音楽の道を自分たちの力で作っていったところが、なによりも努力を大切にしているウエンツ瑛士らしさです。
ウエンツ瑛士のミュージシャンとしての活動を語るとき、小池徹平の存在を忘れることができません。
こんなところからも非常に自分に厳しく、また音楽に対する姿勢も真剣であることをうかがわせるのがウエンツ瑛士です。
ウエンツ瑛士にしろ、小池徹平にしろ、すでにキャリアを積んでいて、人気もあったのですから簡単にレコードデビューはできたはずなのです。
そこからウエンツ瑛士と小池徹平は、音楽的スキルを努力で伸ばし、地道な活動を積み重ねていき、ようやくレコード会社から認められたというわけです。
そのときのウエンツ瑛士と小池徹平の観客はなく、また気がついて、足を止める人もいなかったそうです。
化学反応のように、ウエンツ瑛士と小池徹平が出会ったことによって、新たな一面を見つけ出すことができたというわけです。
小池徹平との出会いがなければ、ウエンツ瑛士の音楽活動は趣味的なところでとどまっていたかもしれません。
ウエンツ瑛士と小池徹平は親友というよりも、戦友といったところで、音楽においても共同作業で行っているようです。
ウエンツ瑛士にはもともと音楽的な素養もありましたし、自分で楽器も奏でることができる環境にありました。
この
ウエンツ瑛士と
小池徹平のユニットであるWaTは、もともと無名のストリートミュージシャンとして路上からスタートしています。
ただの趣味で終わったかもしれない音楽という可能性を小池徹平によって引き出されたかもしれないのが
ウエンツ瑛士です。