登山靴を買おうと思って、いくつか、登山用のグッズが充実した、いわゆるアウトドア系のネットショップを覗いてみることにした。
流石にかなりの数があり、たとえばキャラバンというメーカーであれば、取り扱っているのは
登山靴だけではなかった。
例えば登山用のレインコートなど、悪天候でも対応できるような登山用具や、山中で宿泊するための寝袋などが、登山靴と一緒に掲載されていた。
キャラバンというメーカーのラインナップからは、本格的な登山に対応できるのだという、こだわりのようなものが感じられたので、登山靴を選ぶ候補に加えることにした。
職人の縫う、一本の糸が、登山靴の耐久性を大きく左右することもあるのではなかろうか。
登山靴において、どうしてそこまでこだわりというものが大切なのであるのか。
いくつもの靴を履きつぶした上で、ここを強く、あそこを強くと、地道な改良を重ねていくうちに、
登山靴は進化を続けてきた歴史がある。
少しでも、人間とともに歩み続けることができるように、登山靴は無骨ながらもその姿を少しずつ変えて、今日まで存在し続けてきたのだ。
我々は常に効率のみを重視し、いわゆる使い捨てとも言うべき消費中心の社会体制を作り上げてしまった。
だが登山の現場において、靴はもっとも自然の影響を受け、長持ちしにくい装備であるにも関わらず、数年単位で使用できるように作られている
登山靴があるのはなぜか。
登山靴は、やはり現代的な社会から浮いた存在であることは間違いない。
登山を楽しむ人間とは自然を愛し、そして人間はもともと、道具を、資源を大切に扱う種族であったではないか。
登山を通じて、効率性だけでは語れない、
登山靴やモノ本来に宿る価値を発見し、それを愛することができる。
登山靴は、それを現すシンボルとも言うべきものなのではないだろうか。